三河おもちゃ花火の歴史

  文献によれば、1614年(慶長十九年)には、既に江戸においては、線香花火および、ネズミ花火が売り歩かれていました。三河においてこれらの煙火がいつ頃から造られ、観賞に供されたかは今のところはっきりとしませんが、江戸時代から存在してたことは事実であり1659年(萬治2年)には吉田出身の鍵屋が煙火を打ち揚げた事実から考えてみるに、やはりそうとう古くから製造され楽しまれていたと思われます。

 ネズミ花火は、火薬を紙でよってそのままの棒状のものと、これを丸く輪にしたものとがあり、前者が筆ネズミといわれるもので、点火された場合(後部)を左右に振り前進するところから、これをネズミに見たて名付けられた物であると考えられます。これに対し、後者はクルクル回転して不定の方向に進むところから、舞ネズミと呼ばれ親しまれました。

  その後1879年(明治十二年)頃から1885年(明治十八年)頃に塩素酸カリが輸入されました。がん具花火のネズミ花火に利用され、従来はシュシュと火を噴いたのみであったものが、これに音が入り筆ネズミに利用され、俗にシュシュパキンと呼ばれました。舞ネズミに音の入ったものがイタチと呼ばれた花火です。また変わったものとしては大ネズミがあります。これは三寸四方の和紙の4隅を赤・青・黄・緑の色で染め、その紙で火薬を包んで売ったもので、この火薬でネズミ花火等を随意に造って楽しんだのです。残念ながら現在は存在しません。

その後、明治後期になって、ストロンチウムが利用され、撚り花火に一層と美しい色彩をそえ、子どもに特に喜ばれるロービ花火が出現しはじめました。紅には炭酸ストロンチウム、緑には硝酸バリウムが用いられています。また筒物として吹出し花火が製造されはじめました。これは葦の管に火薬をつめてその外側を色紙でまいたもので、点火した時に発する火の状態から一般には、フウフウという楽しい名前でよばれました。これも次第に葦の管から青竹が利用され、その堅固さから安全性も増したものとなってきたのです。

※参考文献
三河花火史 『昭和44年9月25日発行 発行者愛知県煙火組合
編集三河煙火史編集委員会 印刷所 (資)永田印刷所』より抜粋